プールがなかった。

4年生まで通っていた小学校にはプールがなかった。
生徒数の少ない小学校で、校庭も隠れる場所のないほどの広さだった。
ひと夏に何度か、近くの中学校にプールを借りに行く。
きれいに整列して順番に泳ぐなどという悠長なものではなく、
みんなで一斉にどぼんと入る。

バスに乗って少し遠くの大きくてきれいな施設のプールに行くこともあった。
こちらは、みんなでどぼんではなく、順番に並んでビート板を持って、
それぞれのレーンをあひるの子供のように連なって泳ぐ。
帰りはぐったりして歩きながら寝てしまいそうだった。

クラスの何人かは水泳教室に通っていた。
こんな北の地で水泳を習ってどうするのか、と子供心に思っていた。
そう言えば、家族で海水浴という記憶がない。
3年生の時の担任の先生が引率してくれて数人で海へ行ったことがあった。
全身が海に入った最初の記憶である。
足の付く深さで小さな波にあっけなく巻き込まれて溺れかけた。
ぺたんと海の底に座って見上げた水面がきれいだった。

そんなことで、わたしは父の転勤で川崎に引っ越して来るまで金槌だった。
必要のないことはできない。
川崎の小学校は当然のことながら、夏の間の体育の授業はプールである。
ビート板も使わない方が良いようだ。
これは困った。
父の会社の寮の近くに、水道局が運営していたいろいろなプールがいくつもある施設があった。
しぶしぶ同じ寮に住む女の子に頼んで泳ぎを教えてもらうことにした。
わたしは、大人がプールで遊んでいるのを初めて見た。
そこには浮かれた大人たちがいるので、子供がはしゃいだところで目立つことはなく自由だった。
とにかく、さっさと泳げるようになってしまおう。
浅いプールで手を引いてもらい、躰の力を抜くところから教えてもらう。
これは気持ちが良い。
あとは足をバタバタ、時々顔を上げて息を吸う、その日のうちに数メートルなら泳げるようになった。
それでも小学生の間は25メートルがやっとだった。
けれど、大きなプールには夏の間毎日通った。
小銭を握りしめ、寮の子供たちと男の子も女の子も小さい子も大きい子も関係なく一緒に通った。
楽しかった。
川崎の寮で3度の夏を過ごした。
夏は楽しい、ということをあの寮でちゃんと知った。

プールのなかった小学校は閉校し、大きなプールの施設も今はもうない。
想い出の場所は記憶の中だけのものとなり、それは自分の影が少しずつ消えていくような感覚になる。
先日、突然に小学校の友だちが連絡をくれた。
仲良しだった。
わたしの書いた手紙や一緒に写る写真も送ってくれた。
あの頃の小さなわたしと今を繋ぐ確かな存在をありがたいと思う。
心から。

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