お裾分け。

子供の頃、菓子折りとはとても大きいもので、
子供ひとりの三人家族では食べ切れないと思うほどの菓子が詰め合わせられていた。
学校から帰ると箱の中からひとつかふたつを許される。
こんなにたくさんあるのに、もしかしたら食べても食べても無くならなくて、
パパもママもそんなに食べないからわたしが頑張らなくちゃ、とひとりで興奮した。
最初に箱の中身を一度全部空ける。
これはパパ、これはママ、これがわたし、これはパパ、これはママ、これはわたし、
これパパ、ママ、これわたし、パパ、ママ、わたし、わたし、
これは小さいからわたしで良いか、ねえママ、パパもういらないって言うよね。
ひとりっ子、都合良く事が運ぶかのように思うけれど、気が付くと箱の中が随分と減っていて、
なんだ、パパいらないって言わなかったのか、とがっかりする。
それなのに、わたしの決めた「これ」がまだ残っていると、これはパパのだから食べてね、とやや無理強いもする。
母はおそらく親しくしていたご近所にお裾分けをしていただろうと思う。
わたしは、あれ、なくなってる、と思いながらも空いた箱をもらうと興味はそちらに移り、
お人形の部屋にしたり、折り紙をしまったり、手紙をしまったりした。

大人になって、菓子折りを選ぶようになり、食べ切れる数の方が良いと思うようになった。
わたしの中で菓子折りの大きさが変わった。

ご近所に住む友のお母さんから「帰りに寄って下さい」とメールをもらう。
お父さんから「待ってるよ」と電話ももらう。
日本のあちこちから美味しいものが届くお宅なので、声を掛けて下さる。
枇杷、山形からさくらんぼ、早生の巨峰、秋田の蕗、新玉ねぎ、信州の善光寺の最中、幸せだ。
週末にお顔を見に行くと、紙袋にあれやこれやと詰め合わせて下さる。
これは小学校の友達からなの。
この方、去年骨折したのよ。
沖縄から毎年送ってくれるの。
この間、従兄弟が遊びに来てくれたのよ。
思う気持ちと楽しい時間も一緒にお裾分けを頂く。

実家と思っている小父小母の家へ行くと、小母は「ひと口ずつ持って帰って」と包んでくれる。
友のお父さんとお母さん、小父小母、親しい友にもおみやげやお裾分けを楽しむ人が多いことはわたしをとても温かな心持ちにしてくれる。
幸せなことと思う。
菓子折りは少し大きい方が良いのかも知れない。
お裾分けの分もありますよ。

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