仙石さんの手袋。

5歳から10歳まで暮らしていたマンションは10階建てだった。
わたしの家族は402号室に住んでいた。
左隣の401号室には、わたしと同じ歳のゆかちゃんという女の子がいた。
目がくりくりとして、短く切られたきれいな黒髪が彼女を活発に見せていた。
今もゆかちゃんの笑う声を思い出すことができる。
ゆかちゃんのお家は大きな商店街にある大きなおもちゃ屋さんで、
ゆかちゃんは完璧なリカちゃんハウスを持っていた。
ゆかちゃんは私立の小学校に通っていた。
わたしは近くの公立の小学校だったし、塾にも通っていなかったので、
放課後は友だちと遊んでばかりいた。
ゆかちゃんが学校から早く帰って来て習い事も無い日には、お互いの部屋でふたりで遊んだ。

9階には、ヨークシャー・テリアのすみれちゃんが住んでいた。
いつもエレベーターで一緒になるので仲良しになった。
時折、すみれちゃんのお家に遊びに行った。

お隣のお隣、404号室には仙石(せんごく)さんというご夫妻が住んでいた。
わたしの両親よりも少し年上のご夫妻だった。
わたしの家族は仙石さんご夫妻ととても親しくなった。
仙石さんには子供がいなかったので、わたしのことをとても可愛がってくれた。
仙石さんの奥さんは、以前は学校の先生だった。
わたしは、こんなに優しくて良い匂いがしておしゃれな先生に教わるってどんなだろうと思った。
先生だった時はちょっとは怒ったりしたのかしらと、にこにこと笑顔の仙石さんを見上げて思った。
わたしを膝に載せて、その日にあったことを聞いてくれた。
3年生の夏の終わりから秋に掛けて、母が入院した。
わたしの長い髪を持て余した父は、朝のわたしの仕度を仙石さんにお願いした。
わたしは毎朝、ランドセルを持って404号室に行き、
仙石さんに三つ編みをしてもらってから学校へ行った。
学校から帰ると仙石さんのお宅で塗り絵をしたり絵を描いたり、
仙石さんに宿題を見てもらったりして父が仕事から帰って来るまでの時間を過ごした。
ある日、誰かに手紙を書くという国語の宿題が出た。
仙石さんと並んで正座をして、わたしは誰かに手紙を書いた。
手紙の最後には今日の日付けと名前をきちんと書くこと、
封筒には切手をまっすぐに貼って、相手の名前を大きく書くこと、
封筒の裏にきちんと自分の住所と名前を書くこと、
子供だからそれでも良いのよ、ということはなく、
それまでも知っていたしできると思っていたことも丁寧に大人の真似をして書いた。

外で遊んでから仙石さんのお宅に帰ることもあった。
小さな栗をたくさん拾って帰った時には、栗ごはんを炊いてくれた。
小さな栗は剥くのも大変で、美味しいわけもなく、
それでもわたしが拾った栗が栗ごはんになるなんて、ものすごく嬉しかった。
仙石さんのお宅で晩ごはんを食べることも多かった。
わたしはおこげごはんで作ってくれる小さなひと口おにぎりが大好きだった。
父が遅い日にはそのまま泊まった。
仙石さんは、わたしが寝付くまで手のひらを撫でてくれた。
それはとても気持ちが良くて、そんなふうに心地良く過ごしていることを、
あとで母に悪いと思った。

仙石さんのご主人はいつも笑顔で、わたしの祖父に少し似ていた。
わたしたち家族はあのマンションから遠くへ引っ越して、
仙石さんご夫妻も別の土地へ移って、
何年か経ってわたしはひとりで仙石さんを訪ねた。
変わらず素敵なふたりと地下鉄に乗って食事に行き、腕を組んで夜の街を歩いた。

ある年から、年賀状の返事が来なくなった。
不安に過ごすことになっていたかも知れない子供の頃の数ヶ月を穏やかに過ごせたのは仙石さんのおかげで、
今でも懐かしくとても会いたいと思う。

衣替えをしていて思わぬところから子供の頃の手編みの手袋と靴下が出て来た。
仙石さんがわたしに編んでくれたものだった。
わたしは手が大きくなってしまうまでの何度かの冬を仙石さんの手袋で過ごした。
これはわたしの宝物なので、まただいじにしまっておく。

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