北京のパンダ。

一昨年の秋、北京を訪れた。
パンダを見に北京動物園へ行った。
平日の動物園は人もまばらで、そのせいかゆったりとした印象を受けたけれど、
そもそも日本の動物園よりもずっと広いのかも知れなかった。
このところ上野動物園のシャンシャンの写真をよく見るので、北京のパンダが懐かしくなった。
北京のパンダはとても近くまで来てくれる。
たくさんいる。
堪らなくかわいい。
そして、どことなく余裕を感じる。

東京から遠く離れた土地に暮らす子供にとって、
上野動物園のランランとカンカンは憧れのパンダだった。
画用紙にパンダの絵をたくさん描いた。
パンダのぬいぐるみも持っていた。
父の転勤で東京に引っ越して来て間もない頃、母の友人夫妻が上野動物園へ連れて行ってくれた。
憧れのパンダは大人たちの背中の向こうにいた。
こんなに近くに来たのに、パンダは子供心に思うよりも遠かった。
パンダの写真集を買ってもらった。
わたしはいつでも会える写真集の中のパンダを愛した。

17歳の時に見に行ったパンダも背伸びをしなければ見えず、
その上パンダも背を向けてご機嫌斜めのようで、
振り向いてくれるのを待ちたかったけれど立ち止まることを許されず、
なんとも惜しい気持ちが残った。
その頃のわたしは、パンダのぬいぐるみがリュックサックになったものを背中に仕事に行っていた。
パンダをおんぶ、そう思うと愛しさが増した。
それ以来のパンダだったので、北京動物園は去り難く、
パンダかわいい、また来たいけれど来れないかも知れない、
パンダありがとう、元気でね、パンダパンダパンダとしつこく思った。

あぁ、パンダ。

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