今年の手帳、昔の日記。

今年の手帳、もうすぐお疲れさま。
ニューヨークに暮らす友人からのおみやげのノートを今年は手帳にした。
いろいろ貼ったりするのでぱんぱんに膨らんでしまう。
真っ赤なリングノートはちょっと思い付いたことや夢を見た日に忘れないように書いておいたりする為のノート。
街で行き交う人々のやり取りが耳に入って来た時のことを書き留めておいたりもする。
旅行の時には、旅程に合った服装を絵に描いて、持ち物確認をする。
手帳というものを持つようになったのは仕事を始めた15歳の時。
日記は幼い頃から書いたり書かなかったりして来た。

小学生の頃は夏休みの宿題の絵日記を一生懸命描いた。
そんなことを書かないで、と母を困らせたこともあった。
なんでもあったことを自由に書いてはいけないということをその時に知った。
わたしが書くことは登場人物にも関係があるのだ。
3年生の時の担任の先生と交換日記をしていた。
きれいなお姉さんみたいな先生で、声が少しくぐもっていて、歌うととても素敵で、怒ると怖くて、みんなで先生の家に泊まりに行ったりした。
交換日記には大好きな亜土ちゃんのノートを何冊も使った。
5年生の時に仲の良かった女の子と交換日記をした。
泳ぎが上手で、走るのが早くて、はにかんで笑う様子を思い出すと今でも胸が少し苦しくなる。
6年生になるとクラスがわかれてしまった。
中学校に上がる春休みにわたしが引っ越してからは時折手紙のやり取りをしたけれど、
それも長くは続かなかった。
父はお正月に必ずわたしの日記帳を用意した。
大人が使うようなさっぱりとしたもので、気に入るとか気に入らないとかを考えずにわたしは与えられたものを受け入れ、それに似合うように丁寧に文字を書いた。
父も毎日きちんと日記を付ける人だった。
日記を付ける、父がわたしに習慣付けたことのひとつだった。

大人になって、ある時ふと思い付いて過去の日記を読み返した。
その時に連れ戻されることが苦しくて、そのまま日記を付けるのをやめてしまった。
こんなものが残されてはいけない、と思ったけれど捨ててしまうほどには思い切れず、マンションの庭で燃やすわけにもいかなかった。

本当の本当に思っていることは、書き残してはいけない。
口に出してもいけない。
心の中で、わたしだけがそうと知っていればそれで良い。
でも、ここに嘘を書いたりはしない。
楽しいと思うこと、想い出の欠片、記憶の切れ端。
それくらいが丁度良い。

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