私もたいがい「考え過ぎ」だが、スーパーボールほど「弾み過ぎ」なヤツもいないと思う。

小学生の一時期、なぜか流行っていたスーパーボールは弾み過ぎて、一度手から放たれ地面に打ち付けようものなら、あらゆる方角へ跳びはねてゆき、あれよあれよと道の向こう側まで行ってしまったりする。そのたびメチャクチャ追いかけていって、ときに車にひかれそうになりながら、はぁはぁと肝冷えたものだ。それでも、なんどもまた、放ってみてしまいたくなる―そんな中毒的な愉しみが、スーパーボールにはあった。

あんなにドキドキさせてくれるヤツを、私は恋のほかにスーパーボールしか知らない。

“恋の吊り橋効果”って聞くけど、そうやすやすと吊り橋のある大自然の中には行けないので、好きな人とスーパーボールで遊んでみるのも、手軽で効果があるに違いない。
が、「遊ぼ! スーパーボールで」と誘い出すハードルの半端ない高さはいなめない。偶然を装うしかない。(どんな偶然?)

そんなスーパーボールを、昨日たまたま手に取ることがあった。
恐るおそる、ワクワクしながら、ぽーんと床に落としてみる。
ぽーん。思ったほど弾まずに手元に返ってくる。……あれ。
もう一度。今度はちょっと荒っぽく、地面に角度をつけて放ってみる。
ぽぽぽぽーん。ありゃま。思ったほどハラハラさせてくれる予測不可能な動きをしてくれない。
しげしげとそのスーパーボールを手に見つめた。小さいのかな? あと、ちょっと弾力が心許ない?

恋もスーパーボールも、大っきくハリがあってこそ弾むらしい。

今思い出しても、小さい子供が外でスーパーボールを投げて遊ぶのはあぶない。危険がいっぱいだ。だからって安全な公園の土や芝生の上じゃ、全然弾まず面白くない。

大人になってもきっと私たちは、そんな、恋という名のスーパーボール遊びをしているのだろう。
あの日、この世でいちばんドキドキした遊びを手放せずに。

けれど、好きな人と話したりお酒を飲みに行ったりすると、はしゃぎ過ぎて、あとでたまらなく恥ずかしくなったりする。もう、子供じゃないのだ。

それでも、いつも心にスーパーボールを持ち続けていたい。とびきり大きくてキラッキラのよく弾むやつ。

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PROFILE執筆者プロフィール

大島智衣

エッセイスト・脚本家/おもに恋と'じーん'について ✐エッセイ『男子発言ノート』『好きにならずにいられてよかった』他 ✐脚本協力『獣道』内田英治監督 ✐脚本『花の名前』利重剛監督、BOYS AND MEN『キスのカタチ』/放課後の再放送ドラマ育ち。実家暮らし独身。おいしそうに食べます。