思春期という湯船に浸かりながら、女子中学生時分の私は、ずいぶんと肉付きのいい己の腕やお腹の肉をつかんでは、
「この肉はHさんに。ここの肉はY子ちゃんに。ここはごっそりM美にッ!」
と、妄想の中で勝手に、スリムで男子に人気がある彼女たちに我が贅肉を移植し満足していた。この世で最も無駄な妄想だったと言っていい。

そんな時間があったなら、自分磨きの努力でもすればいいが、さしてしないのが我がことながら謎である。四六時中太っていることを気にしているのに、自室に戻れば払拭できてしまう、その“逆の強さ”を誇るメンタルに脱帽さえ。

が、努力や現実にあらがうことをしない分、存分に逃避し妄想してきた。そんな人がいてもいいんじゃないだろうか。
モテないけど、肝心なツラいときに寄り添ってくれる人がいないかもだけど、苛立ちも哀しみも全部自分で引き受けている。

いいじゃないか、やったねグッジョブ。ベストマザー賞やパートナー・オブ・ザ・イヤーがあるのだから、「ベスト・シングル賞」があったっていい。
まずは、読書家で料理上手で手芸の才能も素晴らしい光浦靖子さんあたりから順当に受賞していってもらい、13年後くらいに私も受賞したい。

『嫌われる勇気』の聞きかじり“アドラー心理学”によると、「◯◯したいのにできない」のは本当は、「できない」のではなくて「したくないのだ」らしい。しないことで得たいものがある、と。
とすれば、私が「ヤセてモテたい」のに出来ないのは実は「モテたくない」ってことなのか? とふと思う。

モテないことで得られるものとは?

独り身の自由? 気楽さ? それも確かに。
けれど、それでも……どうしたってつきまとう「さみしい」に付き合い続けられることではないか。根気強く。ほとほと鬱陶しく思いながら。

だから、こうして書いていることがすべて、だろうと思う。私が授かり得ているものは、というと。

これまでもずっとそうしてきたように、いかに人生や恋がうまくいかないかの悲喜こもごも、を生涯、あーだこーだと綴り続け、遺していく。
家族や、恋愛、結婚、出産、子育て……の計り知れない素晴らしさや悲喜こもごも同様、ひとり身のそれらも語り継がれ、遺っていいはず。と思う。

そして後世、『モテない図鑑』(そんなものがあるならば)に1カットでも載り、『現代モテない史』(そんなものがもしもあるならば)のたった一行でも飾れたらどんなにか誉れ高い。

だから私はモテなくっていい。神に選ばれし非モテ、とさえ!

……と、ときに誰しもに必要な、都合の良すぎる自己肯定の儀式(?)を終えた今、「誰にこの脂肪を、シミ・ソバカスを、腰痛を脳内移植したろーか」と考えてみたけれど、誰もいないと思い着く。だって皆んな頑張ってる。他人に勝手に、やっかまれるいわれなんてないほどに。

ただ、これはあるかな。人が楽しく過ごし、おいしく食べているときに、見た目いじりして笑い者にすることでご満悦な勘違いおっさんや、求めてないのにダイエットや服装のアドバイスしてくる方々には、私のかかとのカサカサ全部移植して差し上げたい。

でもやっぱり、あげないかな。だって厚みも沈着も痛みも亀裂もぜんぶ、じぶんのだ。

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PROFILE執筆者プロフィール

大島智衣

エッセイスト・脚本家/おもに恋と'じーん'について ✐エッセイ『男子発言ノート』『好きにならずにいられてよかった』他 ✐脚本協力『獣道』内田英治監督 ✐脚本『花の名前』利重剛監督、BOYS AND MEN『キスのカタチ』/放課後の再放送ドラマ育ち。実家暮らし独身。おいしそうに食べます。