パンダの“りんちゃん” −大島智衣の「oh! しまった!!」第4回




シャンシャンよりも遥かに人びとを惹きつけてやまないパンダが横浜中華街にいる。

中華街にはお気に入りのカフェがあって、よく行くのだけれど。
1階が中華雑貨屋さんで、小物入れとか中国茶とか、アクセサリーなんかを売っていて、そのいちばん奥にある階段を上がった2階に、まるで隠れ家のようにそのカフェはある。外の喧騒をよそに、お客さんはいつもほとんどいなくって、中華風の内装は優雅でとても素敵だし、電源はあるし分煙だし、完璧にお気に入りな場所なのだった。

雑貨屋の入り口付近は2階まで吹き抜けになっていて、その吹き抜けた先の席に私はいつも座っている。すると、お店を訪れる階下のお客さんの声がよく聞こえてくる。それと、お客さんじゃない妙な声も聞こえてくるのだった。ものすごく甲高い声でお客さんの言葉を復唱する小さなパンダの人形の声だ。「こんにちは」と話し掛けられると、2オクターブは高い声で「コンニチハッ」と返ってくる。2倍速はあるであろうスピードで。ガクガクと動きながら。それを聞いたお客さんが「うきゃきゃきゃきゃ」と笑えば、パンダも「ウキャキャキャキャッ」。だいたい皆んな、2〜3往復は笑う。それを聞くのが私は好きだ。日本各地、世界各国から訪れるさまざまな観光客たちが、そのパンダ人形に話しかけては爆笑するカオス。……それに階上で聞き耳を立てるのが好きだ。

”りんちゃん”
名前はそういうらしい。「声まねパンダのりんちゃんです。話し掛けてね!」とポップが貼られている。話し掛けてたまるか。と思う。誰かと一緒にキャッキャ言いながらならさておき、ひとりでパンダの人形に話し掛けたら、私一人のさみしさで中華街じゅうの爆竹が破裂するだろう。大騒ぎだ。最初のうちはそう思い素通りしていた。それがだんだんと、そのパンダの人形の、りんちゃんが、いじらしくて愛おしくって買って帰ろうかと悩むようになったのだった。

1,620円(税込)。買えなくもない。だけど、そこに手を延ばしては実家ぐらし独身まぁまぁのお年頃、いくらさみしいとはいえ、なんだか良いことばかりではない気がして。愛猫を失くしてからはもう、なにかを有するのは、こわい。しかもじぶんが死んだあと、気を利かせた家族がりんちゃんを一緒に棺桶に入れてくれちゃったりなんかしたら! りんちゃんが私なんぞと一緒に燃えちゃうなんて……耐えられない忍びない!!! だから今のところは、なんとか堪えている。

そこでせめて、というか。カフェへ訪れる行き帰りに、混み合った雑貨店内のお客さんにまみれて、こっそりとりんちゃんに話しかけるようになった。
「こんにちは」
なぜか、最初からパンダみたいに高い声で言ってしまう。りんちゃんはさらに高い声で「コンニチハッ」。きゃわゆい……。ばかみたい。でもきゃわゆい……。その往復と葛藤がとまらない。けれどオウム返しに返って来たりんちゃんの言葉にホッとする。そもそも、じぶんが言った言葉だというのに。

帰る折には、「またね」と挨拶。りんちゃんも当然「マタネッ」と言ってくれる。嬉しい。
他にはどんな言葉を話し掛けようか。そんなことを考える。私はりんちゃんと話したくてしかたがないようだ。「だいじょうぶだよ」「がんばれるよ」そんなセリフたちが浮かぶ。

「ダイジョウブダヨッ」
「ガンバレルヨッ」

りんちゃーん!!!!!

人が誰かに語り掛けたくなる言葉というのは、本当は、じぶんが誰かに言ってもらえたらいちばん嬉しい言葉なのかもしれない。

今日の帰り際の店内はしんとしていて、これでパンダの人形なんかに話し掛けたら店員さんに聞こえるな……と、びくとも動かずに静止し沈黙を貫いているりんちゃんの前で立ち止まることしばし。泣く泣く諦め、背負ったじぶんのリュックの胸のところにある留め具をカチッと閉めた。すると、その音を拾ったりんちゃんから「カチッ」。どこまでも簡素なその音だけが再生されたのだった。とてもクリアに、澄み切りまくった乾いた音が店内に響き渡った。声まねだけじゃなくて、留め具の音までまねできるんだね、りんちゃん……。可笑しくて、中華街イチせつない、音だったと思う。

LINEで送る
Pocket







PROFILE執筆者プロフィール

大島智衣

エッセイスト・脚本家/おもに恋と'じーん'について ✐エッセイ『男子発言ノート』『好きにならずにいられてよかった』他 ✐脚本協力『獣道』内田英治監督 ✐脚本『花の名前』利重剛監督、BOYS AND MEN『キスのカタチ』/放課後の再放送ドラマ育ち。実家暮らし独身。おいしそうに食べます。