『夏の激しく暑かった日、小説『破獄』』

紹介本:『破獄』(新潮文庫1986年刊行)

作家・吉村昭氏の『破獄』をはじめて読んだ時、その後数か月間、他の本が読めなかった。『破獄』という小説の“激しさ”と“奥深さ”に打ちのめされてしまった。しばらくはその余韻で過ごしていたと思う。
無期刑囚・佐久間清太郎は、青森、秋田、網走、札幌の刑務所、計四度の脱獄を実行した。
その緻密な計画、実行できる強靭な身体能力、精神力は、凄まじい。時代は、戦中・戦後の混乱の時期。その背景とともに、繰り広げられる脱獄を遂げようとする男と監視する者たちの息詰まる戦いの描写が続く。読んでいた自分も、息をとめて読んでいたのではないか、と思ってしまう。

その日は記録的な暑さだとニュースで伝えられた日だった。仕事の帰り、あまりにも喉が渇き、ひとりで居酒屋に入った。冷たいビールを喉を鳴らしながら、飲んでいると、私の隣に著名な俳優と女性(後に奥様だとわかる)が座った。
私がひとりだったから、気をつかわれたのかもしれない。笑顔で話しかけられた。
「今日は暑かったですね」「仕事帰り、ビール美味しいでしょう」等々。しばらく雑談が続いた後、「あの・・私のこと知っていますか?」と問われた。私は思わず吹き出しそうになり「はい、たぶん日本中の人が知っていると思いますよ」と話し、ふたりで大笑いした。
私は、「そういえば・・以前インタビューで吉村昭さんの『破獄』を演じてみたいとおっしゃっていましたね。その後、いかがですか?」と質問した。
その俳優が、ある映画で最優秀助演男優賞を受賞した時のインタビューの記事を覚えていたからだ。笑顔だった俳優の顔が急に引き締まり、「嬉しいな、そんな言葉、覚えていてくれて」と言い、その後、作家の吉村昭さんへ手紙を書いたことなど話してくださった。
「『破獄』は、俳優なら絶対に演ってみたい役。物語にもチカラがある。でも、実現は遠いかな」と。そして隣の女性に「この人の連絡先、メモして。ぜひ見てほしい作品、企画中だから」と続けた。
4年後、私の職場に電話がかかってきた。「覚えていますか?あの時、約束した映画、完成しました。ぜひ観に来てください」後日、手紙と試写状が送られてきた。
俳優の名は、大地康雄さん。映画は企画・脚本・主演の『恋するトマト』。
私は映画を観て、感想を手紙に書いた。数日後、再度、電話があり会いましょう、飲みましょうと、嬉しい再会となった。
「仕事柄、たくさんの人に会います。挨拶代わりに、今度メシでも一緒になんてよく言いますけど・・・あなたとは絶対にゆっくり話したいと思っていました。だから今日は女房も来るって言いましたけど、置いてきました(笑)」と大地さん。
伊丹十三監督との出会い、京都撮影所、仕事への姿勢、映画『恋するトマト』のこと・・・
そして『破獄』への夢も聞かせていただいた。
今も、大地さんの中に『破獄』は生きている。
小説『破獄』は、テレビドラマで緒形拳さん、その後ビートたけしさんがそれぞれ主人公の脱獄囚を演じ話題となった。
亡くなった熊井啓監督は、渡辺謙さん主演で映画化を企画、脚本もできていたという。
多くの俳優の魂をひきつける、傑作『破獄』。
また本棚から取り出して読んでみたい。










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相原 透

相原 透(アイハラ トオル) 東京生まれ。20余年、都内書店勤務。その後、出版社に転職。 週刊朝日、IN・POCKET(講談社)、銀座百点、公募ガイド 等  雑誌に書評、著者取材・原稿、寄稿多数。 講談社文庫『光二郎 分解日記 相棒は浪人生』(著者:大山淳子 2017年刊行)の解説を書く。 『カタヨリ荘』の住人になれて嬉しくて仕方がない毎日。 好きな作家:池澤夏樹、沢木耕太郎、桜木紫乃、伊吹有喜、大山淳子、柚月裕子