『記念すべき初めてのお客様』

紹介本:『ひと粒 桂木文熱写真集』(ワニブックス1982年刊行)

先日、仕事の関係で、さだまさしさんが作った『短篇小説』という歌を聴くことになった。歌手は女優の桂木文さん。桂木文さんの歌うその声を聴いた瞬間、本当に走馬燈にように、ある男のことが甦った。長く忘れていた、というか、記憶から消してしまっていたかもしれない、ひとつの出来事だった。

大学を卒業し、地元の書店に就職した。研修期間を終え、東京、聖蹟桜ヶ丘にある書店へ配属。しばらくは検品、返品といったバックヤードでの作業が続いたが、しばらくしてレジの補佐。そしてある日、開店と同時に レジにひとりで入ることになった。
不思議と緊張はしていなかった。研修でも、補佐でもレジ経験はある。
大丈夫だ、と思っていた。
エレベーターが開き、男性(ちょっと年齢不詳、でも30代前半くらいかな?)が袋を持って走ってきた。そして、すごい剣幕でレジの中の私にこう言った。
「ここの本屋はどうなっているんだ!」そして「こんな傷ついた本 売りやがって!」
男は袋から『ひと粒 桂木文熱写真集』を取り出し、「ボロボロだよ! 傷ばっかりじゃん!」と叫んだ。

しかし・・・どう見ても傷らしきものもない、ボロボロでもない。
「返品してくれ、ちゃんとした物と替えてくれ!俺は電車賃かけてここまで来たんだ!」
私は研修で学んだように、「レシートはお持ちですか」(もうこの段階で怖くて声が裏返っている)と聞くと、もうフロアー中に聞こえる声で
「何!レシートなんかねえよ!捨てたよ!誰がレシート大事にとっとく奴がいるんだよ!おまえ、馬鹿か!」
「いいえ、ウチのお店で買われたということがわかりませんと・・・」
「本はここで買ってんだよ、いつも!いつも!」
そこに事務所からパートさんが出てきて、笑顔で「あら!○○さん!いつもありがとうございます。どうされたの?あぁ、交換ね。了解です!」と
店から新しい写真集を持ってきて その場で 確認していただき 男性はお帰りに。
・・・・助けてもらった。
パートさん曰く、「あのお客様はけっこうあるのよ。写真集を買っては変えてほしいって。本を斜めにして光をあてなきゃわからないような、見えないような線?傷があの人は嫌なんだって、前に言っていたわ。この本は、昨日 私がレジの時 買っていった本だから、レシートなくても大丈夫よ。すぐに交換しないと大騒ぎになっちゃうから、これからは気をつけてね」と。
いきなり、研修で教わったことが何も役に立たない、レアケースにあたってしまった。

桂木文さんから、そんなことを、思い出していた。
オロオロしていた自分は カッコ悪くて、可笑しくて、一生懸命だったと今、想う。
それにしても・・・・さだまさしさんの作った『短篇小説』いい歌だったな。(笑)

 










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相原 透

相原 透(アイハラ トオル) 東京生まれ。20余年、都内書店勤務。その後、出版社に転職。 週刊朝日、IN・POCKET(講談社)、銀座百点、公募ガイド 等  雑誌に書評、著者取材・原稿、寄稿多数。 講談社文庫『光二郎 分解日記 相棒は浪人生』(著者:大山淳子 2017年刊行)の解説を書く。 『カタヨリ荘』の住人になれて嬉しくて仕方がない毎日。 好きな作家:池澤夏樹、沢木耕太郎、桜木紫乃、伊吹有喜、大山淳子、柚月裕子