『日曜日、午前中の書店にて』

紹介本:『スティル・ライフ』(著者:池澤夏樹 中公文庫 1991年刊行)

『スティル・ライフ』を読んだとき、まだまだ自分の読んでいない世界、表現があるのだと深く、素直に謙虚な気持ちになったことを記憶している。少しばかり、人より多く本を読んできたからといって「何でもわかったようなふりはするな!」と自分自身に言い聞かせた。

主人公のぼくと佐々井は、アルバイト先で出会い、“ある目的”のために、3か月間を共に過ごす。“ある目的”は達成され、佐々井は去り、ぼくは以前の生活に戻っていく。しかし世界を見る視線は以前とは変わっていた。宇宙、科学、微粒子の話を日常的にする佐々井の理数系的な思考は、穏やかな説得力に満ちている。そして観念的でありながら、きちんと現実を受け入れ、生きていく(生活していく)ふたりの姿(行動)は、読後、充実した余韻に包まれて終わった。今でも、何度でも本棚から取り出し、気に入った佐々井の言葉や、物語を読んでいる。

新宿の書店で働いていた時、所用で京王プラザホテルに行き、エレベーターを待っていた。
「!!!」私の横に池澤夏樹さんが来て、やはりエレベーターを待っていた。
その数日前、ある文学賞を受賞された池澤さんの記念講演会があり、私は聞きにいっていたのだ。瞬間、もし他に誰もいなければ、きちんと挨拶させてもらおう と決めた。
エレベーターが開く。中には池澤さんと私だけ。
驚かせないように、距離をとって、静かに挨拶をした。先日の講演を聞いたことを伝えると
「それは、ありがとう」と池澤さんは答えてくださり、私が書店で働いていること話すと、「え?本屋さん?新宿の?今 僕 その本屋さんでこの本買ってきたところ」と私の働く書店のビニール袋を持ち上げて見せてくれた。
池澤さんが先に降りるので、「お話していただいて、ありがとうございました」と私は言った。「それじゃ、またね」とお辞儀をしてくださった池澤さん。

数日後の日曜日。出勤の私は開店後、フロアーで書籍の整頓をしていた。
「この間は、どうも」と声がする。池澤さんだった。
「あの日、買った本は全部読んでしまったので、また来ました」と。
日曜日の午前中、開店直後はお客様も少なく、私はゆっくり池澤さんとお話ができる幸運に恵まれた。「『スティル・ライフ』、ドラマも良かったですね!」と私が話すと
「あぁ、あのドラマの勝因は、シナリオと、主人公を、女性ふたりに変えたこと。田中裕子さん、南果歩さん、ふたりは素晴らしかったね」と嬉しそうな池澤さん。当時、池澤さんは沖縄に住居があり、仕事で東京に来ると、「気をつけていても、風邪ひいてしまって、空気かな? 邪気のある人が多いせいかな(笑)」と笑いながら話してくださった。
『スティル・ライフ』は、私にとって宝物のような大切な書籍。
自分の働く書店の文芸書の棚の前で、池澤さんとお話した15分ほどの時間は、今でも忘れていない。

 


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相原 透

相原 透(アイハラ トオル) 東京生まれ。20余年、都内書店勤務。その後、出版社に転職。 週刊朝日、IN・POCKET(講談社)、銀座百点、公募ガイド 等  雑誌に書評、著者取材・原稿、寄稿多数。 講談社文庫『光二郎 分解日記 相棒は浪人生』(著者:大山淳子 2017年刊行)の解説を書く。 『カタヨリ荘』の住人になれて嬉しくて仕方がない毎日。 好きな作家:池澤夏樹、沢木耕太郎、桜木紫乃、伊吹有喜、大山淳子、柚月裕子