『お見送り』

 「あなたの家で、これは良いなと思う習慣はありますか?」と聞かれたら(というか、誰にも聞かれていないけれど勝手に答えるとすれば)、お見送りなんじゃないかと思う。
 我が家では、誰かが出かける時は、必ず玄関まで行って、いってらっしゃいと手を振る。娘が学校に行く毎朝はもちろんだし、近所のコンビニにアイスを買いに行くというだけの時でも、そうだ。僕が仕事で夜明け前に出かける時とか、よっぽど急なことで手が離せない時以外は、必ず玄関まで行って見送る。手を振るだけじゃなくて、調子に乗ってぎゅーっとハグすることもある。はたから見れば、コンビニに行くだけなのに何バカなことやっちゃってんのって思われるかもしれないけれども、僕たちにとっては楽しい習慣だ。
 この習慣をいつ頃からやるようになったのか、実はあまり思い出せない。こうしようと誰かが言い出したわけでもないし、我が家のルールとして決めたわけでもない。でも、僕らはいつもそうしていて、それをみんなが気に入っている。
 見送る時は、必ず笑顔で見送る。出かける方も必ず笑顔。どんなに急いでいても、どんなに眠くても、直前にちょっとしたことで言い合いで不機嫌になっていたとしても、玄関ではリセットして、笑顔で「いってきます」「いってらっしゃい」と言い合う。
 これも絶対のルールとして決めたわけではないのだけれど(というか、我が家には絶対のルールなんてひとつもないのだが)、笑顔で見送り見送られるのは、とても大事だと思っている。だって、それが最後の顔になるかもしれないからだ。
 もし、それが僕が家族に見せる最後の顔になるのだったら、それは笑顔でありたい。愛してくれていたなと思い出せる笑顔を残したい。そして、そんなことを一瞬でも想像しそうになるだけで全身の毛が逆立つけれど、もしそれが娘の最後の顔になるのだったら、あの時に不機嫌な顔で見送ってしまったなと一生後悔したくない。
 こんな話をすると、「そんな悲しいこと言わないでくださいよー。まだまだ死んだらダメですよ!」と一生懸命な顔で僕に言い聞かせようとする人がいるのだけれど、なにも僕は悲観的に言ってるのではない。人が死ぬのは当たり前のことで、ただの事実だ。「僕はこの十年は死なない!」と宣言したらそうなると言うのなら宣言もするけれど、当然、そんな都合よくいくはずはない。死ぬ時期がわかる人の方が稀で、普通は、早いとか早くないなど関係なく、ある日唐突に訪れる。それは、たくさんの友人の死でよく知っている。
 もちろん、できれば長生きしたいと思っているし、そのために、死ぬ確率を減らすように健康に気をつけたりするようにもなったけれど、どんなに注意していても、人は、死ぬ時は死ぬ。横断歩道の前で青信号を待ってて死ぬことが結構あることだってニュースが毎日教えてくれている。
 それに、これをいうとまたがっかりした表情をされてしまうことがあるのだが、もう五十歳を超えているのだから、たとえ今日死んだとしても、決して早死にではないよなと思うのだ。人生五十年と言われた時代から考えたら、とっくに死んでいておかしくない。充分好きなことをして生きてきたし、普通ではなかなか人が行けないような場所にも行った。まだまだやりたいことはいっぱいあるけれど、今日を区切りに死んだとしても、あれだけは絶対にやりたかったという思い残しはあまり無いような気がするし、あったとしても死んじゃえばそんなことはもう感じられないのだから、どうでもいいことだし。
 つまり、なにが言いたいかというと、どうも僕は、玄関でのお見送りのおかげで、その度に、毎日が一期一会だと思い出させてもらっているのだと思う。毎日リセット。
 だから、好きだと思った時はちゃんとそのことをその時に伝えることもしている。「言わなくてもわかるだろ」とか「言うと調子に乗るからな」とか「言い過ぎるとありがたみが減る」なんて言う人の気が知れない。そんなことを言えるのは、大事な人を失ったことのない人だと思う。軽口を叩けるのは幸せな証拠だけれど、でも、好きという感情を僕は駆け引きに使いたくない。もしかしたらそれが最後の機会になるかもしれないのに、のんきに条件出してんじゃねえよって思う。「愛っていうのは無償ってことだろ。自分は愛してるなんて言葉、とても軽々しく言えない」なんて人もいる。本当にそう思うまで言えないとか、簡単に言うのは無責任だなんて言う人も。でも、じゃあ、その言葉を一生言わないでいる意味はなんなのだろうと思う。そのことによって何が守れるんだろうか、と。僕は、その言葉を出し惜しみするくらいなら、誰から無責任と言われてもかまわない。
 玄関で手を振って歩き出し、ふと振り返るとまだ2人が見送ってくれている時がある。もう一度手を振ると、向こうも手を振る。
 気恥ずかしいというより、感動する。
 その姿を目に焼き付け、ああ、気をつけて、がんばって無事に帰ってこようと気を引き締める。