一線を越える

 毎月1日15日更新と謳っておきながら、1月15日の原稿に穴を開けてしまいました。おまけに、遅れてアップすることもなく、謝りの一文も書かず、まったく沈黙したまま、今日の更新日。何かあったのかと心配してくださった方もいたでしょう。本当に、本当に、すみませんでした。
 15日の朝までは、その日が更新日だということはきちんと把握していたのです。去年の春からずっと続く殺人的忙しさのおかげでもう原稿のストックはなかったけれど、どんなに忙しくてもいつもギリギリセーフで滑り込んできた経験と、そういう状況のスリルをどこか楽しんでいる自分もいて、今回も大丈夫だろうとタカをくくっていたのです。ところが、夕方に別件の不測の事態が起こり、それを処理している間にすっかり原稿のことを忘れてしまい、気づいた時にはもう12時を回っていたのでした。「いやあ、今日もいっぱい仕事したなあ」とほっとして自分を褒めていた気持ちから一転、背中に冷水が伝い落ちるような恐怖が襲いました。そして、次の瞬間に自分が感じたのは、なんと、思ってもみない感情。

 それは、「ああ、もういいや」という気持ちでした。

 その日に書く内容はだいたい考えていたし、たかだか12時を回っただけなんだから、慌てて書き出せばなんとか朝までには書けるはずだし、出版社からお金をもらって書いている原稿ではないのだから、「すいません!すっかり忘れてました!」なんてコメントでもつけておけば別に誰からも責められるものでもないはずなのに、なんだかもうよくわからない怖ろしいまでの脱力が襲ってきて、「ああ、もういいや」と思ってしまったのです。そして、なんと僕は、そのまま寝てしまったのです。
 翌日も、不思議な気持ちでした。焦りも罪悪感もあまりなく、その日の他の仕事をこなしている自分がいるのです。いくら忙しいからといっても、原稿を書く時間くらいやりくりできるはずなのに、考えまいとしている自分がいる。昨日の「もういいや」という気持ちが続いている感じなのです。もうやっちゃったことなんだからフォローしても仕方ないじゃんという気持ち。それは投げやりでありながら、どこかダメな自分を認めてしまったことによる楽な気持ちを伴っている気がしました。そして、次の日もまた次の日も、僕はこの原稿問題に対して、なんのアクションも起こさない。その間、睡眠もちゃんととり、なんなら寝る前に本まで読んだりしている。しかし原稿は書かない。謝りの文も書かない。なんていうんでしょうか、言い訳を言う気持ちにもならないのです。突発性のウツみたいな感じかなとも思いましたが、どうもちょっと違う。この、今までにない無責任な自分に、内心、驚愕していました。
 ふと思い出したのは、昔の友人のことでした。その友人は、真面目と親切を絵に描いたような男で、奥さんともいつも仲が良く、自分の友達の中ではイイ奴ランクのトップに入る男だったのですが、ある日、奥さんから「突然彼が出て行ってしまってもう数ヶ月になる。女の人のところにいるらしい。彼と話してくれないか」と相談されてびっくりしました。話を聞けば、ある日突然家に帰ってこなくなったきり連絡が取れなくなったそうで、自分のどこが不満だったのかもわからないし、せめて理由だけでも知りたいし、今後どうしたいのかを聞いてほしいと言うことでした。慌てて彼の居場所を突き止めて会ったところ、彼は何を聞いても、ただ「もういいんだ」を繰り返すばかりだったのです。「もういいんだじゃないだろう!何があったのかわからないけれど、このままでいいはずがない。もし別れたいとしても、せめて理由を説明するべきだよ。会うのが辛かったら俺が立ち会ってもいいからさ」と言っても「いいんだ」を繰り返すばかり。あげく「そんな無責任な奴は嫌いだ。お前、俺とも縁が切れていいのかよ」の言葉にも、「まあ、仕方ないよね」と答えたのです。今まで一度も見たことのない友人の表情に、僕は戸惑うばかりでした。あの時の彼に、今の自分は似ているのかもしてないと思ったのです。

 ああ、これはきっと僕は、「一線を越えて」しまったのだなと思いました。

 決して越えてはいけないと思っていた一線を越えてしまった恐怖と脱力と同時に、いつか自分がそれを越えてしまうんじゃないかという恐れからは少なくとも解放されたことによる、不思議な安心感。清々しいとは言わないけれど、堕ちてしまったことのおぞましい快感とでもいうのかな、たとえネガティブなことでも、それをできてしまった自分に対して、どこか感心している自分がいる。そして「もう元の自分には戻れないのだな」という感覚。万引きでも殺人でもドラッグでも不倫でも、なんでも、人はみんな、それまで自分がぎりぎり保ってきた一線を越えると、意外と似たような感情を感じるんじゃないかしらと思いました。
 昔、「完全主義者の床屋とか怖くない?すごく繊細に丁寧に時間をかけて切っているのに、ほんのちょっとカットをミスった途端、『ああ、もう全部ダメだ!』とか言って、ヤケを起こして坊主頭にしちゃうの」なんて話をして大笑いしたことがありましたが、きちんとしたい人ほど、一線を越えた時の変化は大きいような気がします。
 でも一番怖いのは、この「越えることができる」自分を知ってしまったということなんじゃないかと思っています。一度できたことは、もう一度できるわけですから、これからは、それができる自分と付き合っていかなければいけないわけです。いつでも堕ちることができる自分と。怖いのは、原稿を落としたことよりも、いつでも無責任になれる自分の発見でした。

 そして更新日の今日。刻々と明日が近づいてきています。どうするのかなと自分を観察していたら、どうやらやはり書き始めたというわけです。今ここを書いている時点で、日が変わるまであと15分ほど。果たして僕は、今日中にこの原稿をアップできるのでしょうか。もうここまでくれば、公開ボタンを押すだけじゃないかと思っている自分と、ぎりぎりの瞬間まで待ってから更新してみようかと意味のないことを考え始めている自分と、そんなバカなことを考えていると、魔が差して12時を越えてしまいたくならないだろうかという恐怖と、いろいろな気持ちがないまぜになっています。ああ、ほんと、一線を越えるって、怖い。