58円と宇宙

 イオンに税込58円のレトルトカレーがあって、これが思いのほか美味しい。シンプルな野菜カレーなのだが、隣にある20円ほど高い肉入りカレーより飽きがこない味なので、常備してあって、よく夫婦2人の昼食はそれですませたりする。米を炊いても一食100円しないなんてすごいねえ、これで老後も安心だなんて笑ったのが頭にこびりついたのか、この58円が時々頭の中で変な基準になっていて、道端の自動販売機で炭酸飲料でも買おうかと思った時、「待てよ、これを倹約すれば老後のカレーが2食増えるな」なんて思ったりして、買うのをやめたりすることがある。つもり貯金ならぬ、つもりカレー貯金だ。笑っちゃうけど、これが面白い。喫茶店でコーヒーを一杯あきらめればゆうに夫婦1日分のカレーだ。また1日老後が延びたな、なんて、カレーを3食食べてる自分たちを想像して笑ったりする。もやし炒めだったらもっと安いだろうに、この58円という設定が絶妙に面白いんだと思う。
 近年、ワリカンだけじゃなく、お小遣いをなるべく使わないこういうケチケチ倹約も、気に入ってきている。毎月決めたお小遣いを使い切らずに余らせるのは、なんだかちょっと得意な気持ちになる。それは、侘しい気持ちにならないために余らせることが可能な金額でお小遣いを設定しているからであるのだが、それでもちゃんと余らせることが出来ると気分が良い。そしてちゃんと達成できると、「これ、もうちょっとイケるんじゃない?」と、また少しだけ設定を低くしてみたりして、それを繰り返すうちに、「おお、こんなに」と思うぐらい、お金を使わない自分になってきた。
 こういうのはヘソクリの愉しみと一緒なのかなと思うけれども、でも余ったお金を貯めていってある時どーんと使うというのでは倹約してないのと同じだなとある時思い、ある程度貯まったら「今月はお小遣いいらないっす」みたいなシステムに自分でしてみた。なんだか虚しい気持ちになるのかなと思ったら、意外とならなかった。物欲がますます無くなってきたこともあるのだろうけど、お金を使うことでストレスを発散させる発散欲みたいなものもきっと減ってきているんだろうなと思う。おおむね人生に満足している証拠なんだろうね。
 ちなみにこのケチケチは、自分だけの趣味にしていて、家族に強要はしていない。というか、自分のお小遣いをなるべく減らして家族のお金にできるだけ充てたいという気持ちでケチケチを始めたので、家族のイベント時は、蛇口が開きっぱなしかと思うくらいジャージャー使ったりすることもある。そのバランスで倹約ができてるのかもしれないし、このギャップも楽しい。
 考えてみると、これも子供が生まれてからの変化だなと思う。子供が生まれた途端、本当に大きなパラダイムシフトが自分に起きて、主人公が自分から子供に移ってしまい、自分自身のことなどどうでもよくなってしまったのだと思う。まあ、それまで自分のお金も時間も思う存分自分のために使ったからこそ、気持ちよくその変化が起こったのだとは思うけれど。
 あれほどしょっちゅう出歩いていた自分が、仕事がない日は家にいて、カミさんとお喋りしているうちに1日が終わっていく。あれだけ1人が好きだったのに、今じゃ、1人じゃ全然どこにも行く気にもならない。まだ南米もアフリカも行ったことがないのに、死ぬまでに行けなくても別にかまわないやと思ったりする。興味は当然あるけれど、今までいろんな国に行った経験から推察して、自分がどのくらい感動するかはだいたいわかっているというか、見切ってしまっているところがある。それがどんな絶景であっても、風景から手に入る感動はだいたい想像できる。そこで出会う人たちとは、予想のつかない素晴らしい出来事が起こるかもしれないが、それを言うなら、自宅の半径5kmの中で起こることだってそうだ。だからわざわざ出かけなくてもいいのだ。
 たったひとつ、宇宙にだけは絶対行きたいと子供の頃から思っていて、たぶんあと15年もすればスペースシャトルで成層圏の外に出るツアーが800万とかそんな金額で組まれるだろうから、それだけは申し訳ないけど家族を我慢させてでもなんとか行きたいと思っていたのだが、ついに、それも行かなくてもよくなってしまった。実際に体験しなくても、夜ベッドの中で目をつぶりさえすれば、宇宙空間に浮遊する自分を、完全なバーチャルリアリティで想像できるからだ。上下がなく浮遊している感覚も、浮いている足の向こうに壮大な地球が見える感覚も、宇宙服の中の温度や匂いも、手に取るように想像できる。物理的なことや自分の枠の中にあることなら、正直なんでも想像できるし、多分現実とほぼ変わりがないと確信がある。いや、実際はやっぱり違うんだろうけど、それを確かめるためにお金を使いたくない。それだけのお金があったら、どれだけたくさんの家族旅行ができるかと思うとバカバカしい。それでどれだけたくさんの初めての体験を娘にさせてあげられるか、そしてそこにどれだけ自分が立ち会えるか。結局、自分が興味があるのは最早それだけなのだ。感謝なんかしてもらわなくていい。人が初めて獲得する感情を、傍からつぶさに見たい。娘がこれからどんどん体験をしていく新しいこと。それを考えるだけで本当にワクワクする。これこそ主人公が変わっている証拠で、僕はどこか透明になり、娘の中に自分を置いてもらっているのだと思う。娘の視点からもう一度世界を新鮮に見たいのだと思う。
 サバンナの野生動物を自分が見ることより、それを初めて見る娘の表情を見たいのだ。それを見られるのなら、僕は残りの人生ずっと、58円のレトルトカレーでいいや。