アル・パチーノの真似をしろ!

「演技」をめぐる雑想ノート 2

 大島渚さんは自分の映画のキャスティングについて、「一に素人、二に歌うたい、三、四がなくて、五に映画スター、六、七、八、九となくて十に新劇」と言っていたけれど、僕もこれにはけっこう同意する。僕も今まで自分の映画のメインの役に、ミュージシャンや、友人の映画監督や、まったくの素人さんに好んで出てもらってきた。
 普段から、すごく味のある顔をしている人や、何かひとつのことを極めたその道のプロなどと出会ったりすると、「いつか映画に出てもらえないかな」と頭の中にストックしていて、2014年からぽつりぽつりと作り続けている『Life works』という短編映画シリーズでは、そういう、いわゆる「素人さん」に主役をやってもらうこともあり、またそういう時の反響がすこぶる良いから面白い。
 たいがい僕が見初めた人は、「あ、いいですよ」と実に自然に出演を引き受けてくれて、初出演とは思えない堂々とした演技をしてその存在感をスクリーンに残してくれるのだけれど、中には「俳優さんと違って私は素人ですから、とても演技なんてできないです」と、尻込みする方もいる。
 そういう方には、まずこんな話をすることにしている。
「夜中に急に電話が鳴って、出てみたらよく知っている人で、深刻そうな声で「ごめん、寝てた?」なんて聞かれた経験などないですか? その時、反射的に「いや、大丈夫、起きてたよ」なんて返した経験は?」
 そうすると、それとぴったりではないにしても、似た感じの経験がまずだいたいの人にあるものだ。
そこで、「あなたがそう応えたら、その人は少し安心して、相談ごとを話し始めませんでしたか。つまりそれは、あなたのとっさの演技を信じたことということですよね。そしてそれは説得力のある見事な演技だったってことです。それでいいんです」と言う。
「え、それでいいんですか?」
「はい。わざわざ、本当は眠いのになんてニュアンスを出したり、妙な咳払いをしてみせたり、相手に悟られるようなのは、大根役者の演技です。あなたはアカデミー賞並みの名優の演技をしたわけです」
「あははっ」
「こんな風に、人はみんな日常的に演技をしています。演技をしていない人なんて実はいないんですよね。だから、こういう時には自分だったらこんな感じで言うなあって、普段自分が生活の中でしているのと同じように言ってもらえれば、ばっちりです」
 これでたいがいの人は、なるほどと安心して、リラックスしてやってくれるようになるし、「ここの場面でのあなたの目的は、彼が出ていくのを止めるように説得するということだけです」なんていう簡単な指示だけで、見事なアドリブをかましてくれるようになる。それも、僕には思いつかないオリジナリティあふれるセリフを連発してくれて、大歓喜させてくれたりする。
 この方法でうまくいかなくて、まだガチガチになっている人も稀にいる。この場合は、その人が映画が好きすぎるあまり、緊張と興奮でアガってしまって、どうしていいかわからなくなっていることが多い。こういう人には、次の手段。
「誰か、外国の俳優で好きな俳優とかいますか?」と世間話をする。
 するとそういう人は、クリント・イーストウッドが好きだとか、アル・パチーノが好きで、ゴットファーザーの時が一番だと思うみたいな話を、熱を込めて話し始めたりする。そうしたらしめたもの。
「なるほど! じゃあ、この役、アル・パチーノのマネでやってみましょうか」
 これを言うと、皆、拍子抜けしたような顔で「へ、真似でいいんですか?」となる。
「いいんです、いいんです、演技なんかマネで。この役、アル・パチーノだったら、絶対目をこんな風に動かしながらこんな喋り方するだろって感じでやってみてください。真似だってことは皆には内緒にしとくし、とりあえずいっぺん、遊びでやってください。それならできるんじゃないですか?」
「あー、ホントに真似でいいんなら」
 すると、これがうまくいく。
 ちゃんとやらなくちゃって邪魔な気持ちがなくなると、それまでの力みが急に抜けて、途端に活き活きとするものだ。「真似」という課題が、かえって気持ちを自由にする。
 それに、本人は真似でやってると思っていても、それはまず間違いなくアル・パチーノとは似ても似つかない、すごくインパクトのあるオリジナルな演技になること必至である。そもそも日本語で喋るアル・パチーノなんてあり得ないんだからね。だから「外国の俳優で好きな人」って言うのが実はミソなの。日本の俳優だと、本当にモノマネになっちゃう可能性があるのでね。
 ということで、気が向いたら、好きな外国の俳優の真似ごっこをしてみてください。とても面白いから。