あ、

 小さい頃に不思議だったことは、いまでもずっと不思議だ。
 なんで、自分に“気持ち”があるのか。
 なんで、“自分”と感じるのか。
 なんで、自分には自分だけの気持ちがあって、なんで他の人ではないのか。
 無から突然爆発が起こって宇宙が生まれたっていうけど、なんで、何にも無いところから何かが生まれたりできるのか。
 宇宙は膨張していて、その先には何も無いっていうけど、それってどういうことなんだろう?“果て”ってどうなってて、その境目ってどうなってるんだろう。
 “真空”って何も無いってことのはずなのに、なんで真空の宇宙空間を光は伝わることができるんだろう。
 そもそも、“何も無い”ってなんなんだろう?

 大きくなって、いろいろな本を読んでみたら、科学がこれだけ進んでも、「無から有」という不思議について、根本のところはいまだに何も解明されていないらしい。そしてこれからもきっと、いつまでも解明されることは無いみたいだ。
 この宇宙を解明するために、膨大な学説があるけれど、つまりは、すべて発展途上なのであって、一番矛盾のない論が主流になっているというだけ。だから意味がないと言いたいわけじゃなくて、事実としてそういうことらしい。仮説を立てて検証をしていかなければ真実にはたどり着かないのだから、それを繰り返していくしかないわけだけれど、究極に頭の良い人たちが寄ってたかって考えても、「無から有」になるということを、誰もが納得するように“解る“ところには結局たどり着けないっていうことに驚く。僕らは当たり前のように物を触って生きているけれど、「物質とは何か」っていうことすら、科学的に説明することは難しいって言われると、「え、じゃあ、どんなことならわかってるの?」って、思う。今自分がこうして生きているのに、その理屈が解らないって、すごいなって思う。

 理屈はわからなくても、感覚的にはわかることもある。
 僕、思うんだけど、宇宙の始まりって、ある時突然、
「あ、ある」
という感じだったのではないかしら。
 それはまるで、ある日、僕たちが“自分”というものに気づくような。
 “自分”というものも、“無”から“有”だ。そして、ビックバンで宇宙が広がっていったように、“自分”も、意識した途端に広がっていく。それは、宇宙が膨張していくのと似ている気がする。どこまでも広がっていって、果てが無い気がする。
 宇宙はひとつではなく、いくつもの宇宙があるはずだというけれど、人間もそれぞれ、ひとりがひとつの独立した宇宙だと思う。
 その宇宙はそれぞれ、ある時“自分”を意識して、ある時また無くなっていく。

 そこにあったとしても、誰も気がつかなければ無いのと一緒なのだから、宇宙も、「宇宙というものが有る」と人間が気がつかなかったら、無かったのと一緒だったんだよなと思う。生物が生まれたのは偶然かもしれないけれど、宇宙も、自分を観察して意識をしてくれる存在が必要だったんじゃないかなと思う。人間という存在は、宇宙の「心」の一部分なのかもしれない。その心はまだ赤ちゃんだけど、成長するともっと自分のことがよくわかっていくのかもしれない。
 人間の身体の中にも、菌という無数の生き物が生きているけれど、それらは人間の身体の中で生きていることを知りもしないだろうし、意識をしていないはずだ。でも、それらがある時、自分たちが実はある生き物の中に住んでいるということに気づき、観察をし始め、いつまでも共存するために必要なことはと考え始めたとしたら。それは、いま僕ら人間が宇宙に対してやっていることと同じなはずだ。

 意識っていうのも、単なる脳みその中の電気信号だって言われるけれど、それでもやっぱり自分が自分の意識と感情を持っているのは、不思議だなと思う。この不思議だなって思う気持ちも電気信号だと思うと、よけいに面白い。ただの電気信号だって言われても、自分は実際、考えているし、感じている。脳みそで考えている気もするし、胸で感じている気もする。実際、自分がどこにあるのはわからない。でも、とにかく“自分”はある。

 光は電磁波という「波」で、物質というものも、素粒子という「振動」の結合だという。我々の意識も電気信号だし、自分たちで「感情の波」とか「心が震える」と感覚的に言っているように、まさに「波」だ。だとしたら、宇宙はすべて一緒で、波で出来ている。何も無いところにある時急に「あ、」と波が生まれて、それがずっと続いている。お風呂のお湯がいつまでも静かにならないように、その波はずっと続いていて、それが宇宙なんだと思う。
 宇宙全体も、星も、人間も、僕も、カミさんも、娘も、全部波なんだな、と思うと、不思議にうっとりした気持ちになる。