緒形拳さんのこと 3

 緒形さんとの縁は『羽田浦地図』の後も続いて、ポール・シュレーダー監督の日米合作映画『MISHIMA』で二人とも三島由紀夫を演じることになったので(僕は青年期の一部、成人後は緒形さん)、情報を交換したり、緒形さんの肉体改造トレーニングを見学しに行ったり、一緒にコーヒーを飲んだりしていた。
 緒形さんには、おおむね僕の方から懐いていたんだけど、僕が映画を観に行くと言うと、「あ、それ俺も一緒に行く」なんて緒形さんがついてくることもあった。そういう時の人懐っこさは、年の差を感じさせないというか、むしろ少年のようで、こちらをすっかり嬉しい気持ちにさせてくれた。
 そういえば、自決前の最後の演説の音声データを含む珍しい資料が手に入ったので、貸したことがあった。
「緒形さん、これ、すげえ貴重だから、要返却ね」って言ったら、緒形さんは、にまーっと笑って手を出すだけで、何も言わない。
「要返却だよ?聞いてる?」ってもう一回念を押したら、さらに悪戯っぽい顔になって、黙って手をくいっくいっとする。「あ、さてはこいつ、返すつもりないぞ。約束さえしなけりゃ大丈夫って思ってんな。子供かよ!」って思いながら「ああ、もう!」って渡したら、案の定返してくれなかった。まあ、約束しなかったんだから、これはあっちの勝ちだけど。
 残念なことに、『MISHIMA』は日本では公開されず、その後、僕はアメリカをしばらく放浪していたり、自分の映画を作るために奔走したりと、しばらく俳優の仕事から遠のいていたので、自然と緒形さんとも会う機会がなくなっていった。

 そんなある日、日活撮影所を歩いていると、一番奥のセットの前に緒形さんが見えた。
「緒形さーん」と手を振ると、僕に気づいた緒形さんは、僕より大きく手を振りながら、なんと、こちらに向かって走ってきてくれる。
 僕もすっかり嬉しくなって、駆け寄った。そして、感動の抱擁……かと思ったら、いきなりあのごっつい手で横っ面を張られた。
「痛ってえじゃねえか!なにすんだよっ!!」
 目から星が飛び出てあごが外れるかと思うほどの衝撃に、思わず怒鳴ると、緒形さんは、これ以上ないというくらい嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして、僕を眺めながら、「元気か?」と聞くのだった。
 ああ、やられた、と思った。この笑顔を見てしまうと、もう駄目だ。緒形さんと関わった人は、みんなこの笑顔にやられてしまう。そうだった、この人加減が効かない人なんだ。久々に会えて嬉しかったから力が入っちゃっただけなんだな、と許すことにした。
 “嬉しさを手加減できない男・緒形拳”に、「元気、元気。『MISHIMA』観た?オレ、しょうがないからわざわざNYまで観に行っちゃったよ」と言うと、緒形さんはにこにこと、「ばか、お前があんなに頭良さそうな顔するから、そのあと出てきた俺が間抜けに見えるじゃないか」と言った。ああ、褒めてくれたんだなと思って、嬉しかった。
 ちなみに、緒形さんが手加減できないのは嬉しさだけじゃない。たとえば恩師である島田正吾先生や辰巳柳太郎先生や、「生涯の親友」という伊東四朗さんや左とん平さんの話をしてくれる時などは、その場にいない本人たちに見せてあげたいぐらい、身体中から敬意や愛情をいっぱい溢れさせて喋った。裏表がないというか、いや、裏表がなければ役者なんてできっこないとは思うのだが、もしかしたらこの人は、普通の人が大人になるにつれて身につけていくフィルターをつけ忘れたまま育っちゃったんじゃないかって思うぐらい、丸裸の感情が伝わってくる。たぶん、この全身から伝わってくる感情が緒形さんの演技の特徴でもあるのだろうと思う。

 年月は流れ、林海象監督のスペシャルドラマ『タイムリミット』で、すごく久しぶりに再会した時は、僕は脚本として参加していた。
 元花火師のファンキーな金庫破りと、それを護送する堅物刑事が、思わぬことからビルの屋上に仕掛けられた爆弾を一緒に処理にいく羽目になるというバディもので、主演の金庫破りを竹野内豊くんがやると聞いて、彼にとても惚れ込んでいる緒形さんが「彼とだったらやる」と二つ返事で引き受けてくれたと聞いた。緒形さんらしいなと思った。緒形さんは「やっておいたほうが得」みたいな考え方の一切ない人だし、常に自分なりの明快な基準で、やりたいと思った仕事はやる人なのだ。(そういう意味では、映画としての遺作が『ゲゲゲの鬼太郎』のぬらりひょんだというのも、すごく緒形さんらしいと僕は思う)
 現場に挨拶に行ったら、ちょうど昼食時で、緒形さんは、「おれ、牛乳飲みたい」と、マネージャーのハッピーちゃんに買ってきてもらったところだった。
 なぜかハッピーちゃんが険しい顔をして、ストローを刺した牛乳パックを、
「緒形さん、角んトコ持ってくださいよ。お腹のトコ持っちゃダメですからね。角んトコですよ、はい」と渡すと、「ん」と言いながら緒形さんはごっつい指でお腹のトコを持ってしまい、ぴゅっと牛乳が吹き出した。
「ほらあ!言ったでしょう、角んトコって‼︎何でできないんですか?お腹んトコ持ったら絶対こうなるって言ってるでしょう!」
 ハッピーちゃんにきつく叱られ、ハンカチで手を拭いてもらいながら「ごめんなさい」と謝る緒形さんは、例のごとく子供のようで、「変わんないねー、緒形さん」と声をかけると、僕に気がついて、にまーっとあの顔で笑った。
 竹野内豊くんは本当に生真面目な俳優さんで、台詞一言ひとことに真摯に取り組み、悩む人で、緒形さんが惚れ込むのがよくわかった。
 “牛乳パックの角が持てない男・緒形拳”は、愛情いっぱいの顔で竹野内くんを見つめ、時にはアドバイスさえする。
「ここの場面はそこまでは難しく考えなくてもいいんだと思う。なあ、利重?」と僕に振るから、「そうです。お二人が生み出す空気、掛け合いの面白さが見たいと思って書いた場面なので、あくまで叩き台だと思って、自由に変えてもらってかまいません」と答えると、「な」と竹野内くんに頷く。
 二人の蜜月にほんのちょっとだけ妬けて、「緒形さんにそんな風にアドバイスしてもらったこと、オレ、無いなあ」と僕が言うと、「ばか、お前はいいんだ」と緒形さんは言い、それから急に「そうだ」と、いいことを思いついた子供の顔になって、こっちを向いた。
「お前の次の映画、俺、出る。だから呼べ」
「え、ほんとに?」
「ほんとに」
「約束する?」
「うん、する」
「そんなこと言って、脚本見せたら、『こんなのじゃできない』とか言うんじゃないの?」
 すると緒形さんは、大声で笑い出し、可笑しくて仕方ないという顔で僕を見て、「それは、おまえ、あれだよ。俺はまじめな役者だから」
「まじめな役者だから、ダメだと思ったら出ないんだろ」
「うん」
「ほらあ!」
「あはははは」
 二人して、ひとしきり笑った。
 だけど、緒形さんが本気で言ってくれたのは僕にはわかった。だって緒形さんは、約束したら守るのだ。僕の脚本に難があったって、納得がいくまでとことん本直しに付き合ってくれただろう。我が師・岡本喜八監督の『大誘拐』では、長いと思ったシーンを、「台詞を少なくしても伝わると思うから、とにかくいっぺん見てみてくれ」と、北林谷栄と前日に自主練習してまで監督に提案したほど、本当に真面目な俳優なのだ。
 結局僕は、緒形さんと組める企画を成立させられなかったし、緒形さんもあっちに行っちゃったから、お互い約束は守れなかったけれど、「俺、出る」と言ってくれた時の嬉しさは忘れない。

(つづく)