自然に散ること

 僕の仕事部屋の本棚の隅に、小さなガラスの瓶が置いてある。
 中には大きなスプーンでふたさじ分くらいの、星の砂のような白い粒が入っている。父の遺灰だ。もう父が死んで8年にもなるんだなあと思う。
 父の希望は散骨だった。死んでからそれを知り、急いで調べたら、手続き的には案外難しくなかった。火葬・埋葬許可証をもらって火葬をした後に、その骨を形が無くなるまで砕きさえすれば、法律的にはどこに撒いてもいいことになっているのだ。極端に言えば、水洗トイレに流してもいいらしい。想像すると少しうへえとなるが、法律的にはそういうことらしい。
 粉骨と呼ぶその作業をどうやってやればいいのかインターネットで調べたら、千葉の方にそれをやってくださるお坊さんがいるのを知り、骨壷を持って伺った。
 面白かったのは、どんな風にやるんだろうと思っていたその作業が、結局はとてもアナログな手作業だったということ。どんな手作業かというと、一本一本、骨をすりこぎですりつぶしていくのだ。
 ご住職が仰るには、「いろいろ試行錯誤してみたんですが、機械でやると金歯とかが挟まって壊れてしまったりするんですね。強い出力の機械ならそれも砕けるんですが、そうすると金属の粉が混ざってしまって、せっかくの綺麗な骨の白い色が濁ってしまうんです。ですから、ご供養の意味も込めて、一本一本丁寧に、心の中で故人とお話をしながらゆっくりと粉にしていくのが一番いいと思いまして。丁寧にやると、沖縄の星の砂のような、本当に美しい粉になるんですよ。みなさん感激されます」とのことで、「時間をいただければ私一人でもできますが、どうしますか。一緒にやってみますか」と言ってもらったので、やらせていただくことにした。
 暖かな日差しの入るお部屋で、ぽつりぽつりご住職とお喋りをしながら、一本一本骨をステンレスのパレットの上に出してはすりこぎでつぶしていくその作業は、なんだか不思議に心地よく、葬式よりはるかにきちんとしたお別れの時間を持てた気がした。
 粉にした遺灰は、生前父が好きだっただろう場所を車でめぐり、数カ所にわけて撒いていった。それもなんだかロードムービーみたいで愉しかった。一瞬の内にあとかたもなく自然に溶けていくその様は、自分もこんな風に散って宇宙に還っていきたいと、強く憧れを感じた。
 そして、その粉が本当に綺麗だったので、ほんの少しだけ残しておいて、僕の仕事部屋に今あるというわけだ。「これなんですか」と気づいた人に説明すると、一瞬ギョッとされるが、みんな気持ち悪がらずに「ホントに綺麗ですね」と感心してくれる。
 母は今のところまだ元気だが、お骨は、京都の常寂光寺さんにある女の碑と、こよなく愛しているカンボジアの地に分けて埋葬してほしいと言われているので、カンボジアに行く時はまた粉骨することになるのだと思う。
 というわけで、親の墓を建てなくて済んだし、ひとり娘に面倒臭い思いをさせるのもまっぴらごめんだから、僕ら夫婦ももちろん、散骨希望だ。どちらかが死んだら粉骨してとっておいて、残りが死んだ時にまとめて海にでも撒いて欲しいと言っている。最近は粉を再び固めて板状にするサービスをやっている業者もあるというから、そうしてもらってもいい。そうすればわざわざボートなんかチャーターしなくても、遊覧フェリーかなんかからポーンと放り投げれば済んじゃうからホントに簡単だ。墓参りも要らないし、時々思い出した時に、海に向かってチョンと手を合わせてくれればそれでOK。とてもシンプルで素敵だ。
 でも娘は今のところ、撒かずにしばらく取っておくつもりらしい。まあなんでも、好きにしたらいい。思い出さえ残ってくれたら、僕らは満足だ。