ドトールで

 コーヒーが好きなのだが、近頃は、よっぽど美味しくないと一杯500円とか800円とか払いたくないので、ドトールとかベローチェみたいな店によく入る。あの値段なのに十分美味しいしね。それを言うなら、最近のコンビニコーヒーも美味しくて感心するけど。
 ということで、ある街でいつものようにドトールに入った。MacBookを開いてしばらくメモ書きなどした後にトイレに行くと、入った途端、シャーッ!と、洗面ボウルからハネが飛ぶほどの勢いで蛇口から水が噴き出しているのが目に入って、びっくりした。
 瞬間、パッキンかセンサーかの故障で水が止まらないのかと思って慌てたが、よく見れば、最近よくあるセンサー式ではなく、ただ栓を閉めずに出しっ放しになっていただけだった。
 急いで栓をひねって水を止め、ふうっと息をついて用を足し始めながら、“前の人はよっぽどのおっちょこちょいだったのかな”、なんて僕は考え始めた。
「いや、でも、あれだけ勢いよく音を立てるほどの水を忘れちゃうなんて、おっちょこちょいにもほどがあるよね。サザエさんレベルじゃないか。お魚くわえた猫を追いかけて栓を閉め忘れちゃったのだろうか。それとも、よっぽど難しい考えごとをしていて身体だけ自動運転モードになっちゃってたのかな。その人は今、人生を左右するほどの重大な決断に迫られているのかもしれない。世界が一変してしまうほどの大変な選択がこのドトールで今まさになされてしまうのかもしれない……む、そうだ! あるいはこの店に恨みを持つ人間の犯行かも。時々こっそりとやって来ては水を出しっぱなしにして、店の水道料金を上げて店を赤字に追い込もうとしているのかも。地味で姑息だが、店長の精神的ダメージは大きい。まさかトイレに監視カメラ入れるわけにも行かないしね。いや、この店に限らずあらゆる場所で水出しっぱなしを繰り返しているテロリストかもしれない。水テロ。怪人ミズ・ダシッパー。だが、どちらにしてもそれをやるために犯人もコーヒーを買っちゃってるため、結果として店を儲けさせてしまっているという、この間抜けなパラドックス……」
 てなことを、席に戻ってもまだ考え続けている馬鹿なワタクシだったが、飽きずにあれこれ考えているうちに、ある言葉がふと浮かんで、ぞくっとした。

”潔癖症”

 そうかもしれない。用を足して手を洗おうとしたら、その店の洗面台がセンサー式でないことに初めて気がつき、パニック状態になりながら散々悩んだ挙句に水栓をひねって手を洗ったものの、もう一度その栓に触れることができずに、逃げるように出てしまったということではなかったか。誰が触ったかわからない電車のつり革には掴まれないという人がいるのだから、不特定多数の人たちが触った水栓などとても触れないというのは、想像できる。だからおそらく栓を開けることだって嫌だったのだが、手を洗わないということにも耐えられず、意を決して一瞬だけパッとひねって手を離したのだが、勢いよく出過ぎてしまい、でももう二度と触れる勇気がなかったというのが真相ではないだろうか。
 以前、トイレで手洗わずに出るヤツってけっこういるよねという話になった時に、「そうなんだよ。いろんな人がちんちん触った手で栓を触ってるわけだからさ、そこをイメージしちゃうとダメだよね。理屈で考えれば、知らない男のちんちん触ってるのと同じじゃん。だからオレ、センサー式じゃなかったら、トイレで手は洗わないもん」というヤツがいたのを思い出した。皆で「えーっ。でもおしっこする時に、自分のちんちんは触ってるわけじゃん!」と言うと、そいつは「それはいいの。自分のちんちんは自分の一部だから、それは汚くないの」と言った。なるほど、いろんな理屈とイメージがあるもんだなと感心した覚えがある。手を洗うと毛穴が開いて菌がそこから出てくるから、洗う前より表面の菌の数は多くなるんだ、だからブドウ球菌でもついてない限り手を洗う意味はほとんどないんだなんて、本当かどうかわからないことまで言う人もいた。いずれにしても、いろいろ人と話していると、日本人は”穢れ”に対しての恐れが強い民族なんだなと思うことが多々ある。自分がかなりこの辺はおおざっぱな人間で良かったなと思ったりする。そんなこと考えてたら中国の奥の方なんてきっと旅できなかっただろうから。

 出しっぱなしはいったいどの人だったのだろう、とさりげなく店内を見回した。トイレが空いたなとなんとなく目の端をそちらに向けた時の記憶の映像を巻き戻して思い出そうとしてみたけれど、それが女性だったのか男性だったのかも、まったく思い出せなかった。少なくとも不審な仕草や表情は感じなかったのだから、ごく普通の人だったことは間違いない。
 顔も性別もわからないその人のことをしばらく思った。その人は、トイレのカギやノブを触るのは大丈夫だったのだろうか。そこはハンカチをかぶせでもしたのだろうか。人知れず苦しみながら日常生活を送っている人って世の中にたくさんいるんだよなあと思った。
 でも、なんだかちょっと嫌だった。人知れず苦しんでいる人たちには本当に心から同情するけれど、それでも、水を出しっぱなしにする方法を結果として選んでしまったことは残念だった。せめて、「すみません、水出しっぱなしにしちゃったんですけど、誰か締めてください!」と言ってから逃げるように出て行くこともできたんじゃないかしらと思ってしまう。そんなことができたらそもそも潔癖症にすらなってないよと言われるかもしれない。その通りだとも思う。人に迷惑かけたくなくて、人にぶつけることができなくて、だから苦しいのだと思う。でも、ベールを自分から破いて人に少しでも苦しみを見せることができたら、そこから始まる何かもあると思う。そして、そういう瞬間を自分がもし気づいてあげられたらいいのにとも思うし、ふと楽になってもらえるなにかができないのだろうかなんてことも考えてしまう。

 コーヒーがすっかり冷たくなっていた。なに勝手に考えて勝手に切なくなってんだと、その日はもう、この事件は怪人ミズ・ダシッパーの仕業だったのだと決めて、気持ちを収めたのだった。